前回のブログのつづきです。
で2006年にクリスチャントウディからある記事を発表した。それは「今回の大規模な全国調査によると日本人のキリスト教徒の全体的な割合は6%に上るだろうということが示された。」記事の私の意見として、教会はクリスチャン1%なのにたいし、ギャラップ社は6%となぜ差がついたのかその大きな違いは
教会側の1%クリスチャンを具体的には教会に属し、礼拝に出席しているクリスチャンである。しかし、ギャラップ社でクリスチャンといった多くの人は教会に行っていないクリスチャンなのではないだろうかと私は推測するのだ。
聖書からみると
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)という定義だ。
私は横浜に住んでいるが、教会に行っていないクリスチャンというのが本当に多いのだなあと実感する。もちろん最初は教会に行っていたが、教会での人間関係や献金の多さについていけなくなったり、日曜日しか仕事に就けなくなった人が不信仰扱いされて教会に居づらくなり教会からは慣れたケースも聞いた事がある。
かといって教会側も「聖書的」といいつつも、教理に誇ったりや牧師の勢力争いがある教会もあるので一概にはいえなかったりする。
村上牧師のブログの中にリバイバルの定義が書かれていた
リバイバルの意味
リバイバルは、信仰復興と訳されている。第一義的には、信仰が再び活力を取り戻すことである。信じていない人が信仰を持つことは、新生、新生体験と言う。キリスト教が広く伝えられ、多くの人々に信じられてきた欧米の世界で、信仰が形骸化し、或いは、信仰から遠ざかった人々が、再び、信仰に立ち返る現象に用いられてきた。英語のrevivalの「re」は「再び」で、「viva」は「生きる」である。第一義的な意味を押え、語源を理解して置くと、本来の意味から外れることはない。
日本には今、イエスを主と告白するクリスチャンが活力を取り戻すことを神様は求めているのではないだろうか。そのためには多くのクリスチャンが神様との交わりを高めるためのエクレシアとしての群れと今の時代にあったクリスチャンライフスタイルを確立して行く必要があるのではないかと思う。