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フェアトレードはちみつの日本でのパイオニア 零細企業のおやじのつぶやきです

什一献金は必ずしも教会に捧げなくても良いのでは?

キリスト教 日常

こんにちは、水野です。

聖霊派の教会では教会に什一献金をすることを良く耳にすることが多いと思います。マラキ書から牧師やリーダーが什一は経済的な祝福を受ける為にとても大切なものです。神様はそれによってあなたの経済を祝福されます。と言う事でしょう。

什一は経済的な祝福をするためには私は必要と思っていますが、これは個人の信仰の問題であり、したい人はすれば良いし、しないひとはしなくてよいと思います。教会では什一献金袋が用意されており、名前と献金額が見れますのでだれがたくさんして、だれがしていないのかは一目瞭然です。教会の牧師やスタッフは献金で生活しているので沢山献金する人を優遇するのは当然だと思います。

私は什一献金は経済的な祝福を与えてくれるものだという信仰があります。でも、そのような信仰を持てない人たちもいるでしょうし、また経済的に困窮しているときは什一献金をするのは本当にきついと思います。その中で、「什一献金をしないと呪い」というのは違うと思います。まして、什一献金をどこにするかは信徒の自由です。もちろんNGOに什一献金をしても神様は祝福してくださるのではないかと私は考えます。

今後、教会に公務員か中堅企業の正社員の夫と専業主婦の妻。一流大学に進学している子供の未信者が教会にくる可能性は本当に低いです。その正反対の人たちが教会に訪れる可能性が高いです。教会の牧師は献金だけで食べていける可能性はかなり低くなると思います。それらを踏まえて、新しい形の宣教を考えて行かなくてはいけないと思います。

これは水野の見解であり、キリスト教を代表する意見ではありません。また日本人の救いの祈りを重視しているので神学論争には回答致しませんのでご理解下さい。