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神様の目からみたクリスチャンの成長

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私はキリスト教で洗礼を受けて30年になります。自分は信仰=教会生活だと思っていました。教会で如何に沢山奉仕し、献金をささげ、教会が沢山の人が集うことと大きな会堂を建てることに如何に貢献するべきなのかということを考えて来たつもりです。

奉仕も献金もたくさんできない。それは自分は不信仰で、神様によろこばれていないのではと思うようになったのです。

あるとき宣教団体の男性だけが参加するメンズキャンプというのに参加しました。そのときに私はある学びにとても衝撃を受けたのです。

そのなかで私たちは正しいと信じているがそれは真理ではないことと、ずっと信じて神様の本来の召しを受け取っていないこともあるということで、

多くのクリスチャンは

未信者→新生→教会の会員→平信徒・奉仕者→パートタイムのミニスター→フルタイム

                                 のミニスター

ということを信じています。しかし、神様の目から見れば異なるのではないかという事でした。

神様の目からは

未信者→新生→神の子→神の働き人→油注がれたミニスター→ライフタイムの

                            ミニスター

 

救われたとき、私たちは神の子ども認められました。「あなたはフルタイム?」

「いつ献身しますか?」そうではなく、私たちクリスチャンは生涯にわたって(ライフタイム)そして常に(フルタイム)神を父と呼び、主に喜んで仕える者たちです。

テキスト「油注がれたミニスター」として生きる(P10引用) FGBMFIとは

この学びを受けてとても私は衝撃をうけました。私は救われたら「神の子」でありフルタイムのミニスターである事、それは教会にフルタイムになる訳ではなく神様の召しにフルタイムになる事だということを学びました。

 

FGBでは教会の牧師スタッフなどに召しがある人はその働きを全うする事。しかし、教会の召しではないクリスチャンは社会で主の栄光を表すことの大切さをここで知りました。

教会の働きに疲れているクリスチャン、喜びの無いクリスチャンはもしからした神様は教会の外での働きに呼ばれているのかもしれません。