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教会の中の孤独

こんにちは、水野です。

クリスチャンの間で油かけ医師の事件の話題を話す事があります。

その中で、「なぜ100人のクリスチャンがその医師に魅力を感じてしまったのだろうか?」ということで話をしていたときに、そのクリスチャンの友達が、「その医師に集まった人の多くは社会と教会から相手にされない人がその医師とつき合う事によってその医師がかれらを認めて、医師のミニストリーにやりがいを感じていたからではないか?」という結論になりました。

その結論はひとそれぞれの意見はあるとは思いませんが、クリスチャンで教会に礼拝にいっても孤独を感じているひとが実は多いのでないかと思いました。セルといって小グループでの交わりもよけいな事をいったら教会の指導者に伝わり、本音を話す事が出来ない。信仰的に立派なクリスチャンとしての体験を話し、建前での付き合いになってしまう傾向があるのではないかと思いました。

日本の教会に多くの日本人が礼拝するために本当に祈らされています。

 

これは水野の見解であり、キリスト教を代表する意見ではありません。また日本人の救いの祈りを重視しているので神学論争には回答致しませんのでご理解下さい。