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クリスチャンライフは教会生活とは別物だと思う

こんにちは、水野です。

前回のブログの記事にfacebookを中心として沢山のコメントや意見を本当にありがとうございます。

 

gotara.ldc-honey.com

 コメントや意見を読んでいて、個人的に思った事は、「教会は信仰の強い人という沢山奉仕をして、沢山献金する人」を大切にする傾向があるのではないのかと考えてしまいました。30年前にはどんな人も受け入れる土壌があり、教会もそれなりに経済的に余裕があったからではないかと思います。

しかし、韓国から「教会成長」や「弟子訓練」などが導入されるようになり、牧師の権力の拡大されたり、90年代から「力の伝道」が導入されることで、教会の方針に従わないクリスチャンを「悪霊につかれた」とか言って排除する傾向がでて来て、教会の礼拝に出席する人たちが一部の富裕層のみに限定されるようになったからではないかと思います。

少子高齢化と格差が日本にも深刻の問題になるにつれ、教会に出席する人たちがどちらかというと貧困層なのに教会が求めているのは富裕層というミスマッチな関係があるのではないでしょうか?

繁栄の神学や霊の戦い、また教会での人間関係で多くのクリスチャン達は傷ついて教会から離れてしまっている。

クリスチャンライフは教会ライフではない。

もちろん教会は大切なものだけれど教会に縛られるのは違うと思う。もちろん教会に召されている人はその働きをして全うしたら良い。しかし、ひとりひとりのクリスチャンとしてのコーリング(召し)は違う。

7/18から20日までFGBMFI主催で横浜でメンズキャンプというのがあり、そこで私は「召し」についての講義をする。クリスチャンは伝統的なものを信仰生活としており、従っているのに実を結ばないクリスチャンが多いのかその原因と神様から見たコーリングの違いについて話します。お祈りしてくれたら嬉しいです。