こんにちは、水野です。
マタイの福音書11章19節に
人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。
その前は食べないと悪霊につかれているといわれとあるようにこの部分では批判する人はどんな理屈でも批判対象になるというたとえなのかもしれません。
福音派の中には禁酒を厳守しているグループもあり、日本の福音派の多くは「酒は罪」みたいな教育をしているのでは中と思います。私はお酒は基本飲みません。でも、お酒の事を批判されて教会から離れて行くクリスチャンも実は多いのです。
聖書には箴言や申命記などに大酒のみとは交わるなという御言葉を見る事が出来ます。しかし福音書などからは葡萄酒の話題が出てきます。私はカナの婚礼など水を葡萄酒に変える奇跡を起こした事にとても疑問を感じました。もし、酒が罪ならばイエス様はなぜ葡萄酒に変えたのか?そのことを見るとなんかイエス様はお酒が好きだったのかと思いました。(当時のイスラエルは水よりも葡萄酒の方が実用的に飲まれていたらしいです。)でも、酒が罪ならば違う飲料水にすることもできたはずです。
禁酒の傾向は実は18世紀の産業革命時に多くの労働者が酒に溺れて、酒の原因で国が滅びる寸前までいき、そのときにクリスチャンは酒を飲まないという運動がおこり、それが現代までクリスチャンの1つの伝統として生きているらしいです。
ですので、お酒を飲むクリスチャンを非難するのは少し疑問に残ります。ただ、クリスチャンの集まりなどではお酒はどうなのかと思いますが・・・・
海外でクリスチャンとの交わりでワインを飲み合うことを見る事があります。日本のクリスチャンは視野を広く持つ必要があると思います。