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日本のクリスチャンは聖書より西洋文化を重視している?

こんにちは、水野です。

戦国時代、キリシタンが日本に宣教したときに当時としては最先端な科学技術や知識を伝道手段として用いたと思います。そして、その知識にふれるうちに主に触れられて主を信じて洗礼を受け、日本人にあった信徒育成があり、宗門改制度の発令後に多くの祭司は国外に脱出したのですが、残ったクリスチャンは信仰を約260年も守り続けていました。私が今思うのはもし、宗門改制度のようなクリスチャンの弾圧の法律が出来たときにどれだけのひとたちが信仰を守りつづけることができるのだろうかと考え、祈っています。

そして、明治維新がおこり1873年に高札が廃止されるのと同時に禁教も廃止された。正式にキリスト教の宣教が出来るようになったのは1899年からであるが、そのときは西洋的な教会堂を沢山建てたり、キリスト教理念の学校が建てられて布教が活発化していく。そのときに聖書の御言葉を重視するとともにこの西洋文化も教会の文化に含まれており、伝統として現在まで残されているのではないかと思われます。

そして、大日本帝国憲法では宗教の自由は認めつつも教育勅語や天皇崇拝を国民に強要した関係で、「神様の概念」について日本独自の解釈が出て来てしまったのではないかと思います。

今でも海外の流行している宣教に日本のクリスチャンは目を向ける傾向はありますが、日本人の宣教は日本人のが行う為にどのように日本人にあった信仰生活ができるように西洋文化を中心としているのではなく日本文化を踏まえた聖書を土台にした信仰生活が遅れるように私は祈っています。

 

マラウイハニー120g

マラウイハニー120g

 

 

 

1990年代からセルチャーチなどのシステムが日本にも導入されており、今までの教会堂中心の考え方から信徒育成の流れが