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アフリカで大の字

フェアトレードはちみつの日本でのパイオニア 零細企業のおやじのつぶやきです

祈りとは願掛けよりも深いもの

こんにちは、水野です。

今回は祈りについてです。クリスチャンであるならば「祈り」を大切にしているのではないでしょうか? 韓国のキリスト教の影響でしょうか。祈り倒すとか神様は私の祈りを聞いてもらうように40日断食をしましたとか個々何年かこのような言葉を聞くようになりました。

祈りとは「神様の交わり」です。神様は私にどのような器として歩んで欲しいのか。また、神様の栄光を私はどのように現して行くのかを真剣に神様に聴く場ではないかと思います。

神様は偉大な方であり地球をつくられた方であるから私のことを良くご存知でしょうし、私の必要を良くご存知の方でしょう。でも時々祈りが答えられないということがあり、「神様のなぜですか?」と私は神様に不満をぶつける罪人であります。でも、このごろわかって来たのは「私たちのタイミング」と「神様のタイミング」は違うという事を体験しています。神様は私たちに一番良いタイミングで答えてくださったり、待たせたり、この祈りは答えられないよという環境を与えてくれたりします。

 

あと、祈っているだけではなく行動する事は大切です。もし結婚相手を求めているのなら、神様に祈ると同時に牧師やクリスチャンの友達や中年のおばちゃんクリスチャンに「良い結婚相手を求めているので与えられるように祈ってください」と相談する必要があると思います。自分自身も心身とも磨きをかける必要もあると思います。

 

繁栄の神学の教会では「繁栄しないと信仰が足りない」という雰囲気があるのですが、神様の祝福はひとりひとり異なるので人を羨ましがったり、比較して落ち込んだりするのではなく、今を感謝して歩んで行きたいものです。