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アフリカで大の字

フェアトレードはちみつの日本でのパイオニア 零細企業のおやじのつぶやきです

マラウイハニービジネスの原点2

キリスト教 日常 コラム

前回は蟻の町のマリヤの記事から20年前のことを思い出したというところで終わりました。

gotara.ldc-honey.com

今日はその続きです。

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今から22年前の私は病院の事務員として働いていました。当時の私はキリスト教宣教に燃えており、将来は牧師として神様に仕えて人生を全うしたいという燃えるような思いを持っていました。そして、病院をやめて、牧師となるための訓練ができる職場を探していました。その頃キリスト教系の新聞にある保育園の事務員の求人広告を見て、面接に行きました。当時は埼玉県の飯能市のはずれに住んでおり、その保育園は東京都江東区にあったので、片道2時間半かかる場所にありました。キリスト教の保育園なら信仰的にも良くて、牧師になる訓練にとても良い環境ではないかと思ったのです。そして、面接して採用されました。実はもう1つ旅行会社にも決まっていたのですが、牧師の訓練の為にとこの保育園の職員として働く事になりました。

 

この保育園が深川愛隣保育園といい、当時の園長が高橋玲二牧師という当時60歳を超えたがっちりした温和そうな人でした。奥さんはキエ子先生といって結構はっきり言う先生でしたが、裏表が無く嘘がつけない人で本当は心優しい人だとわかりました。玲二牧師は温和な人でしたが、すごく直感的な人で計画性が無くいきなり行動を起こす人でそれで多くの人に誤解をされたりして、当時その処理として私が対応していました。保育園の事務と玲二牧師の秘書的な仕事と、当初はなれなかったのでとても大変でしたが、なぜか玲二牧師と馬があったみたいで次第に慣れていきました。

この高橋玲二牧師は戦前戦後と社会活動家の賀川豊彦氏の弟子であり、戦後間もなく18歳の玲二青年は東京でも多くの戦争孤児がいた御茶ノ水橋の下で子供達に勉強を教え、生活を支えており、1946年の御茶ノ水の橋の下といったら、それはすごい働きだとよく言われたものでした。そして、1950年近くなるとその橋の下の子供達は成長していなくなり、江東区の枝川という開拓地に子供達の為の施設を作りました。それが深川愛隣学園です。そして同じ頃、墨田区で似たような活動をしていたのが北原怜子氏でかなり交流があったらしく玲二牧師やキエ子先生からその話を聞かされていた訳です。また、蟻の町マリヤという名前を持つカトリック潮見教会は北原さんが活動した場所とは歩いて20分位の場所でありとても近かったのもあると思います。

そして私は夜は神学校という牧師養成学校に通い、昼は深川愛隣保育園と高橋玲二牧師関係の事務をして忙しい日々を過ごしておりました。 つづく